ブックタイトルクロスオーバーNo.31

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概要

クロスオーバーNo.31

学際高等研究教育院/学際科学フロンティア研究所東北大学クロスオーバーNo.31コラム科学の客観性と人間性沢田康次学際高等研究教育院シニアメンター前東北工業大学長東北大学名誉教授現代科学は400年程前のガリレオ・ニュートンが始めたといわれる「自然現象の客観性」または「自然現象の因果性」にその起源をもち、人間の自然観を変え、その後の18世紀後半からの産業革命を通して人間の生活を大きく変えてきた。「ある現象にはそれをもたらした原因があり(因果律)、それは誰が考えても同一である(客観性)」。諸君の研究活動も基本的には、この考えに基づいて現象間の関係を追及している。この論考では、現代科学に対するこの考えの限界と、分野による微妙な違いに触れてみたい。理学・生物学・人文社会学・医学における研究とその人工化の研究は、どこが違うかを考えることは、融合研究に役立つかもしれない。またその難しさの理解に役立つかもしれない。初めに、各分野で明らかにされた因果関係を人工的に実現する研究を行っている工学の結果を見てみよう。理学の人工化の例は半導体デバイスや原子力などがあり、生物学の人工化の例は、飛行機やロボットや最近の遺伝子組み換えなど、人文社会学の人工化の例は人工知能、医学の人工化は人工臓器などが関係する。しかし、デバイスや通信機器などはかなり精密に行われるのに対して、ロボットは生物の人工化とはとてもいえないし、人工知能・人工臓器も人間とは大違いである。この違いは、明らかに因果律を考える系の複雑さが違いに由来している。系の複雑さは、それを構成する粒子数の大きさとは限らない。本質的な違いは、対象とする系が閉じているか、対象以外の系に開かれた系であるかによる。閉じている系では、ある時間における系の状態が与えられると、その後の時間発展が決まる因果関係が存在すると信じることができる。もちろんその因果関係は未知のことが多いので、理学系諸君はそれについて研究している。一方、人間は、多くの他の人間や環境と物質や情報を常に交換しており、さらに人類が築き上げた文化・教育をとおしてその歴史性がインプットされる。一人の人間の過去の行動と状態を決めてもその人間の行動は決まらない。生物の生き様はすべてそうである。その結果、ロボットは生物とは距離があるし、人工知能は人間とは似ても似つかない。メカニズムは異なっても機能が似たものを作ろうとする創造的工学はさておいて、生物科学と非生物科学におけるメカニズムの追求は、現在の“科学的方法論”でその距離が将来縮まるか否かが問われる。10年ほど前のある分野交流対談で、“理学には例外なく正しい結果を与える電磁法則などは真理と呼べる因果関係が存在するが”という私の意見に、JT生命誌研究館長の中村桂子氏が“生物学にはモデルしかない”という意味の発言があって驚いたことを憶えている。今になって、同氏の云いたかったことは、外に開いた系には、理学が対象とする系のように厳密な因果法則は考えられないという意味であったかも知れないと感じている。生物の場合、そのハードウェアを閉じた系として現代科学の手法で研究することは可能ではないかという考えで多くの研究が成果を生んでいることは確かである。その場合は、因果関係の時間発展が生き物の因果関係とは、異なることは避けがたい。科学的に考えて、開放系に厳密な因果関係が存在しないことは当然なので、生物・人間に対する科学は、理学に対する科学的手法だけではなく、更なる進化が必要であろう。腔腸動物ヒドラこの論考のもうひとつの目的は、因果関係だけでは理解できない人間としての研究者が、研究対象の因果関係を追及することの余波を考えたいからである。科学の因果性と人間性をどう調和させることができるかという問題である。科学の教育が中学から始まり大学まで、科学の因果関係を強調する余り、我々のなかには因果律が心に染み渡り、自分の行動まで因果的になってしまうことに危惧感を感じる。どうすればよいか?答えは比較的簡単である。人間が因果関係で行動するとは限らないので、科学の講義の中に、現代科学の因果律的側面の有効範囲を強調する必要がある。因果関係の追及は、上述したように、閉じた系に対しては極めて有効であり、多くの研究成果を生み続けるであろう。科学者にとって不可欠であることは疑いない。と同時に因果関係は人間の心には及ばないことをはっきり認識し、そのことを教育することにより、我々が、また若者が人間性を失わないでいることが、これからの不確定な時代を生きるには大切である。このことはこれまでの世界の悲惨な歴史を見ても明らかである。人工知能の功罪を議論すると同時に、私たち人間が人間性を保ちAI化していないかを検証し続けなければならない。05