ブックタイトルクロスオーバーNo.29

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概要

クロスオーバーNo.29

学際高等研究教育院/学際科学フロンティア研究所東北大学クロスオーバーNo.29コラム井原創造的なアイディアの源泉(5)聰学際高等研究教育院シニアメンター元国際高等研究教育院長東北大学名誉教授怪しげな道具X線天文衛星「ひとみ」(ASTRO-H)がH-ⅡAロケット30号機で打ち上げられたのは今年の2月17日でした。可視光線や赤外線を使った天体望遠鏡では宇宙の多様なあり方の1割程度しか知ることが出来ず、あとの9割を知るためには超新星やブラックホール、高温の天体が発しているX線による観測が必要とされています。「ひとみ」は広い領域の微弱なX線を観測可能ということでその成果は世界中で期待されています。2.7トンもの衛星を打ち上げる技術を前提にしても、波長の短いX線は屈折や反射が極めて難しく検出器に導く幾重もの工夫、検出器を絶対零度に近い低温に保つ工夫、データの解析、天文衛星システムの管理運用などどれ一つとっても高度の技術が必要とされています。観測装置の高度化が豊な宇宙像を提供してくれることを期待したいものです。いうまでもなく、「ひとみ」がもたらすデータを疑う人はいないでしょう。しかし、望遠鏡が初めて天体観測に用いられた400年程前は望遠鏡そのものをあやしげな道具だとして、攻撃する学者たちもいました。ガリレイ(1564-1642)が、目を焼き失明の危険をおかしてまで観測した太陽の黒点を太陽の近傍に漂う黒雲だと批判する学者もいました。望遠鏡で月の山の影の長さを測って、山の高さを推定し、月には地球と同じように山があり、谷があり、海(クレーター)があると発表すれば、月より上の天上界は神々がすみたもう世界だとして、天上界を汚すなと攻撃を受ける時代でもありました。人間の五感にかわる道具や装置には抵抗があったのでしょう。実験といっても多くは思考実験で済まされていた時代でもありました。観察、観測、測定、実験による実証的方法が確立される過程こそ近代科学の成立の過程でもあったことはよく知られています。ガリレイの論文についてところで、ガリレイは1586年22歳の年に処女論文「小天秤」(La bilancetta)を、1589-1592年には「運動について」(Du Motu)を、1593-99年にはパドバ大学で「機械学」を講義し、のち「機械の学問および道具から引き出される有用性について(『レ・メカニケ』)」(Le meccaniche)を出版しています。「小天秤」は金と銀の配合比率を天秤一本で決定する方法を論述したものでした。貨幣経済が次第に広がってきた時代に貨幣の純度を検定する「贋金鑑識官」という職種がありましたし、スコラ学と対決したガリレイは、スコラ学がいかに贋物であるか鑑識してやるとばかりに、『贋金鑑識官』という本さえ書いています。私はガリレイの「小天秤」は貨幣の純度を決定する方法を論述したものと考えています。コペルニクスが「貨幣論」を著したとNo.27で述べておきましたが、ガリレイも貨幣に関わった論文を書いていたことになります。なお、ついでに触れておくと、ニュートンがイギリス造幣局の長官として、直接貨幣の改鋳に関わったことは有名です。『レ・メカニケ』では機械の有用性について、1小さな力で重量物を持ち上げたりすることができるということにあるのではなく、分割できない重量物を一挙に運搬しなければならないようなとき、2空間的に限定されているような場所で作業しなければならないとき、3風、水、馬などに仕事をさせるとき、4長い目でみたとき、人力より費用が安くなるときに、機械は有用性を発揮すると述べています。ダ・ヴィンチのところで触れたように種々の機械がすでに生産活動の中に重要な位置を占め始めた時代に、このように機械の働きの本質的なことに言及してもいました。豊な宇宙像への一歩オランダで望遠鏡が発明されたニュースは、翌年にはガリレイの耳にも入り、眼鏡職人を雇い入れてレンズの研磨、レンズの組み合わせなどの研究に取り掛かり、1609年には月を見ていたことが知られています。1610年には『星界の報告』(Sidereus Nuncius)を出版し、先に述べたように月の表面の観測、太陽の黒点、木星の衛星の発見、金星の満ち欠け、土星の輪、天の川が星の集まりであることを明らかにし、スコラ学者や教会に大きな波紋を投げかけました。時を前後してケプラーは1609年「新天文学」(Astronimia Nova)を発表し、惑星の楕円軌道にかかわるケプラーの第1、2則を明らかにしていました。ケプラーが天体の円運動仮説を破棄し、惑星の運動法則を明らかにしたのに対して、ガリレイは神々がすまう天球を廃し、天体の物質性への認識を明らかにすることとなりました。もっともケプラーにはティコ・ブラーヘの膨大な観測記録が、ガリレイには生活スタイルを夜型に変えて、観測に徹して可能となった望遠鏡観測の結果があり、それをもとにして、はじめて豊な宇宙像を描く一歩ができあがったといえます。それにしても、ガリレイの望遠鏡は色収差(レンズがプリズムのように光を分散させる性質)が大きく、対物レンズと接眼レンズの光軸を一致させることが難しい上に、架台も満足なものはなく、地球の自転を追尾する赤道儀もありませんでした。私も、むかし、ガリレイの望遠鏡を復元して、観測したことがありましたが、木星の衛星の観測は大変でした。色収差と光軸の歪みにより、木星の光芒の中に、衛星が隠れてしまうこともありました。私はそこに衛星があることを知っていてもとらえることが困難でした。(つづく)(写真はガリレイの望遠鏡、フィレンツェ科学史博物館のポスターより)07