ブックタイトルクロスオーバーNo.28

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概要

クロスオーバーNo.28

05国際高等研究教育院/学際科学フロンティア研究所 東北大学クロスオーバー No.28研究者の創造的な研究活動の源泉はどこにあるのだろうか。個人の才能もさることながら、人類の膨大な知識の生産や社会活動を背景とした歴史の必然の中で理解してみたいという思いで綴ってきましたが、もう4 回になってしまいました。当初は2 ~ 3 回程度を考えていましたが、史実にも触れながら書き出すと長くなってしまいました。ガリレイやニュートンまでの近代科学の成立や18 世紀の革命時代、19 世紀の現代科学の源流、19 世紀末~ 20 世紀初頭、戦争と科学・技術の時代など、従来の科学史とは違った視点で扱ってみたいものですが、ここではガリレイまで語らせていただき終わりたいと思います。グローバルな視野から前回までに、大航海時代に広がったまさしくグローバルな視野からの天体の観察・観測が古典的な宇宙観克服に必要だったという事情を述べました。通常、コペルニクス理論は、コペルニクス的転回とかパラダイムの転換による成果として片付けられていますが、私は、個人的なヒラメキによる視点の転換も重要ですが、時代的要素、大航海という時代状況を考慮に入れることが不可欠ではないかと考えています。コペルニクス理論の意義天体の実像を問わず、天体の位置を推算するだけなら、太陽中心説や地球中心説は座標の原点を太陽にとるか地球にとるかでしかなく、実際の天体の運行にどれだけ近似させるかという数学あるいは幾何学の問題になってしまいます。これでは豊かな天体の存在とその運動や現象に近づくことは出来ません。古い理論では内惑星(水星、金星)の最大離隔(太陽の近傍にあり、明けの明星、暮れの明星のように太陽から28 度、48 度以上離れることができない)や外惑星の合や衝がなぜ起きるのかを円(周転円といいます)の組み合わせによる技巧の巧みさで説明するしかありませんでした。コペルニクス理論が画期的だったのは、古い理論では計算者が紙の上に自由な大きさの周転円を描くところからはじめたものですが、軌道要素を観測で求め、説明がなされることにありました。地球中心説では当然ながら惑星の公転周期という概念はありませんが、コペルニクスの理論では会合周期の観測によって太陽と地球の距離を1 として、各惑星の軌道半径が求められることになりました。観測データをもとに惑星の軌道要素を決定できることになったわけです。もっとも、コペルニクス理論になったからといって、数学的技巧が全て取り除かれたわけではありません。コペルニクスの理論の中には驚くほど古い理論の残渣がありました。古い理論では惑星の不規則運動を数学的に表現するために周転円という技巧を用いました。円運動の重ね合わせで惑星の運動を表現しようとしたので、当時知られていた5 つの惑星に円が70 数個も割り当てられていました。実は、コペルニクスの理論の中にも、使用目的は違うのですが47 個の円が隠されていました。これは、古い理論とコペルニク理論が共有せざるを得なかった肉眼(裸眼)観測時代のデータの精度によるといってよいでしょう。つまり、楕円軌道を認識しうる観測精度をもっていなかった時代の理論の限界でもありました。観測精度の限界肉眼観測の時代、観測限界はいうまでもなく肉眼の分解能です。それを約1 分とすれば、各種の角距儀(巨大な分度器を想像してください)の度盛精度が問題になります。いま仮に直径1.5メートルの円弧をもつ角距儀を用いたとして、1分までを読み取るためには、円弧上約0.2 ミリメートルの目盛がふられていなければなりません。直径を大きくすれば精度は上がりますが、材質によって歪みが生じます。金属を用いれば温度変化による伸縮が問題となり、木を用いれば湿度や剛体としての堅牢な構造がより重要となってきます。ここに木工・金工の工作技術の水準が立ちあらわれるわけです。精度を上げるにはもう一つ長期間にわたって系統的に観測することも必要になります。肉眼観測時代にはおおよそ30 分(ほぼ月の直径をみなす角度)~ 5 分の範囲、天球の日周運動の時間で見積って2 分~20 秒、食の観測や月の位置の測定やその他計算で得られる地球経度では15 度~ 2 度30 分の範囲の精度だったとみられます。この観測精度を2 分以内とした人物がケプラーの師ティコ・ブラーエ(1546-1601)でした。彼はデンマーク王の支援を受け、ヴェン島にウラニボリ天文台(観測データ印刷用の紙漉き場、印刷場、使用人を仕置する牢屋まで備えた)を建設し、全天を毎日、一定時刻に系統的に観測し16年間に及ぶデータを弟子のケプラーに遺したことで知られます。無限宇宙への跳躍ティコは自分の観測精度に確信を持っていましたから、かに座の超新星の出現を観測し、月より上の天上界で起きていることを知ります。つまり、新星の出現は、月より上の恒星を散りばめた神々が住む天球より下される神の啓示でないことを明らかにします。とはいえ、肉眼観測精度に阻まれ惑星の年周視差を測定できず、太陽中心説と地球中心説の折衷案を提案することになります。一方、コペルニクス理論に導かれて天球( 恒星天) を取り払って無限宇宙に門戸を開いた人物が他にもいました。神学者ジョルダノ・ブルーノ(1548-1600) です。パドヴァ大学の教授職をガリレイと争い、それがもとで異端審問の嫌疑をかけられて逃亡生活に身をやつしていた彼は、囚われの身となり処刑されることになります。(つづく) 井原  聰国際高等研究教育院シニアメンター元国際高等研究教育院長東北大学名誉教授創造的なアイディアの源泉 (4)コラム